その26 京町温泉・鶴丸温泉・霧島イオウ谷温泉・栗野温泉・日奈久温泉・山鹿温泉・玉名温泉

2か月前にこのコースの予約をしたがこんなに急速にコロナが落ち着くとは
しかし南アフリカからの新種もあるので慎重に旅を進める

100名湯巡りも最後に残ったコースである
地震や大雨やコロナが重なった
これで松田先生が指定された100名湯のある地域は全て行ったことになるが
自然災害(垂玉温泉・地獄温泉)や一人旅の宿泊拒否・宿の閉鎖(洞爺かわなみ・関金温泉)
など やむを得ず指定の宿には泊まれず同じ温泉内の別の宿に変更したところもある
近くまで行ったが時間等で行けていない所(北海道菅野温泉)は今後機会があれば行きたい

2021年12月1日から6日迄の旅


一日目

宮崎に行くには飛行機かフェリーが便利である
宮崎カーフェリーは以前の高千穂の旅(つれづれ91段)は大阪南港からも出ていたが
今は神戸三宮からしか出ていない
出発の数日前にTV番組で三宮に新しく水族館「アトア」というのが出来たと紹介があった
場所をみるとフェリー乗り場から歩いて10分くらいのところ
新物食いのじじいは直ぐに食いつく
船は19時10分発なので水族館に15時に入った

三宮駅前(地震から20年立ち直ったよな~)
駅から港まで歩いて20分ほどだが循環バスに乗った

右の黒っぽい建物が「アトア」

道路の反対側は神戸港である
館に入ろうとすると港に大きな帆船が見えている
傍まで行ってみて驚いた

「日本丸」と書いてある [『太平洋の白鳥』と称される
これは2代目の練習船のようだ(初代は横浜港に停泊され乗船見学が出来る) 
そう言えばバスの同乗者に5~6人の高校生の運動クラブの学生さんだと思っていた制服
集団はこの練習生だったんだ 束の間の余暇だったんだ
散歩をしている叔父さんに尋ねると年に1~2回は寄港するようですよと言う
しかし海からの風はきつく 冷たい
館は密を避けるため30分毎の予約制で帯館時間は自由  じじいは14時半から15時の間に入館すればよい
展示生物は特別なものはなかったが 今流行りの「映え」を意識した映像と音と展示法が面白い





大きな球体の水槽 中は金魚
餌は長い棒で上から撒く(上の写真は餌やりの様子)

へコアユ

チンアナゴとヤドカリ風貝
ヤドカリの様な貝が一生懸命ににじり寄ってチンアナゴを捕まえに行くが
捕まえる寸前にアナゴは穴に潜る
貝は又次のアナゴに向かう
これは「貝のチン叩き」だ
貝は真面目に必死ににじり寄るもアナゴは寸前まで横目で見ている
貝は完全に遊ばれているんだ
でも貝もそれを結構楽しんでいるのかもしれない
これは何時間でも見てられる


外に出るともう真っ暗
フェリー乗り場までの途中のコンビニで弁当を買って待合室でTVニュースを見ながら食べる
乗船待ちのトラックの運転席でどの車の運転手も弁当を食べていた
コンビニは運転手で大賑わい


12時間半の航海である

待合室(車無しの人用)はがらんとして3人しかいない
殆どがトラックのようである

2等寝室は一部屋に2段ベットが6つで計12名  今日はじじい以外に2名いた

神戸ポートタワーと神戸港の夜景

船は定刻に出た
20時には床に入っていた
朝食(600円)は6時からなので早く寝る

2日目

朝1番乗りで食堂に行く


船は殆ど揺れも無く定刻に着いた

港から宮崎市街行のバスは船の着に合わせて来る
ここからが大変
目的の「西都原遺跡」までの交通の便が悪いのだ
バスはJR宮崎駅を3つほど通り越した繁華街の山形屋前で下りた

宮崎市には初めて来た
思っていたより奇麗で賑やかな街である

バスを乗り換え
「西都バスセンター」まで行ってタクシーに乗り換え「西都原遺跡(さいとばる)」まで行く
センターから遺跡までのバスが無いのだ(12時頃に1本ある)
お昼のバスを待っていると今日の宿には20時頃になる
電話をするとタクシーは直ぐに来た
「今が一番時期が悪いですよ つい前までコスモスが満開でした」と運転手が言う
「それは残念でしたね 温泉と遺跡が目当てなのでそこまで考えませんでした」
「ここは桜や菜の花・コスモスの名所でその時期は人が多いですよ」
 
(NETによる)
全国どこの遺跡も普段は閑散としているが ここもそうだろう
取り敢えず博物館前で降ろしてもらう
今10時40分なので2時間10分後の12時53分のバスに乗れなければ
又タクシーのお世話になることになる


館内は遺物が所狭しとしかし整然と展示されている
ここは20数年前から一度は訪れたかった遺跡である
博物館のホームページによると『宮崎県のほぼ中央部に西都市は位置しています。
西都市街地の西方には南北に延びた標高約60mの平坦な洪積層の台地があり、それが西都原古墳群地帯です。
東西2.6㎞、南北4.2㎞の広い地域に点在する古墳群は周囲が大自然に包まれ、300余基の古墳数を有しています。古墳の形態は、円形墳、前方後円墳、方形墳、地下式古墳等からなり、今から約1700年前の古墳時代に造られた物と言われています。昭和27年には国の特別指定を受け、その後「風土記の丘」第一号として古墳と自然が調和した歴史的景観を維持保存する為に整備されました。春になると約2000本の桜と約8haの畑一面に菜の花、秋にはコスモスが咲き、年間を通じて利用されています。』とある


驚きは上の国宝の鞍(写真はレプリカ 実物は東京国立博物館)
ゆっくり見る間もなく古墳巡り

端から端まで歩くと片道1時間は優にかかる
上記の地図の黄色線が精一杯で1時間20分
晴天の下 汗びっしょりで歩く 見渡す限り古墳の山
慶州の古墳公園も壮観だがここは畑と一体になっているのでもっと開放感がある
それにしてもこれだけの墓があるということは人口もそれなりに多かったんだろう
この地はそれだけ人々を養う力があるんだ




ベンチで古墳を眺めながら非常食用のパンを食べる
最後に男狭穂塚と女狭穂塚を見て帰ろうと思って捜すがどこにも見当たらない
うろうろしていると犬の散歩途中の叔母さんに「男狭穂塚」はどこですか」と問う
「目の前の金網の森の中にあるのですが見えません これは御陵なんです」
「そうなんですか 御陵なら無理ですね でも案内書には書いてないですよね」
そうか迂闊だった
こんなところに御陵があるとは
NETで調べてもどうもはっきりしたことが判らない
又宮内庁が適当に言っているのだろう(一応『日本書紀』瓊瓊杵尊となっているが被葬者不明)

日当たりで汗を乾かしバスを待つ
40歳代のバス運転手が「なんでこんな時期にこられたんですか」とタクシーの運転手と同じことを言う
「目的が違うからです 遺跡巡りは草や虫のいない冬場が最適です それに一人旅はどこの宿も嫌がるんです
こちらもできるだけ閑散期に出かけるようにしています 今はコロナで普段嫌がる所も泊めてくれます
温泉巡りもGOTOが始まるまでにできるだけ行っておかないと始まると宿も客数獲得に必死になりますから
昨年のGOTO期間中の旅先では嫌な思いもしました」
というと「私も旅行が大好きですが 逆転の発想ですね いいお話を聞きました」と意気投合してお互いにしゃべるしゃべる
2人目の乗客があるまで話は続いた

JR宮崎駅14:48発日豊線で都城まで行き吉都線に乗り換え京町温泉駅17:44着
列車はフルスピードで走っているように思うが3時間かかる すべて各停である
宮崎の海から一番奥のえびの高原や鹿児島県境まで長い長い

駅の案内で「鹿児島線の特急が「くうてん」の為運休します
と何度もスピーカーから聞こえる
「くうてん」て何だろうと思い 近くにいた駅員さんに尋ねると「この時期落葉などが線路に落ち
車輪が空転(スリップ)して動けなくなるんです
電車がスリップするのは雪だけかと思っていたがいろんなことがあるんだ




「西都原(さいとぱる)」や「田原坂(たばるざか)」や
上の駅名の様に九州は「原」を「はる」とか「ばる」と「ぱる」と読む地が多い
いろいろ調べていたら下記のサイトが詳しく述べられていた
~原」を「はる」「ばる」と読む地名 (shochian.com)
すごく参考になった

えびのから見た霧島連山

(上の写真2枚DVDより)

温泉駅に着くともう真っ暗
宿の案内では駅降りてすぐと書いてあるので良く調べなかった
温泉らしきものは見あたらない
学生さんに尋ねると結構距離がある
途中で再び人に尋ねてなんとかたどり着いた

京町温泉「玉泉館」

とりあえず内風呂に入り体を温めて食前湯



どうやら今日の客はじじいだけのようだ
値段の割にはりっぱな食事
この宿に「すっぽんぽん風呂」という名物露天がある
すっぽんと一緒に風呂に入るわけでも無いだろうに
休息後「すっぽんぽん」とやらに行ってみる


宿の裏庭に出ると脱衣室がある
そこから草履をはいて左の階段を上がると露天風呂がある
その間はすっぽんぽんである そう言う事か


おお!これは素晴らしい湯だ
温度と言い肌触りといい最高
右の下に口が開いている ここは源泉の出てくる洞窟だという

湯煙で撮影は不能
温泉とサウナが一緒になった感じ
余りにもいい湯なので早朝に何度も入った





こんないい湯と早朝からのお食事と低価格
感謝します
京町温泉は国道筋に宿が点々とあり温泉町としては今一コンセプトが感じられない
しかし個別にはこんな素晴らしい宿があるんだ

3日目

今日も雲一つない青空

8時5分発の列車で1駅隣の鶴丸駅に行く
1駅行くと鹿児島県湧水町に入る
鶴丸温泉は朝6時から開いている
京町温泉と吉松の間が鶴丸で温泉はその駅の前にある


無人駅を上がるとそこに温泉宿があった

鶴丸温泉
入湯料は400円から300円に値下げとある
湯船には地元の人が5名程いた
叔父さんに何で値下げになったんですかと聞くと住民は12枚綴りで3000円で一回250円
それで一般の人は1回300円になったという
湯はコーヒーのような色と少しタール臭がある(いわゆる褐色のモール泉)
以下はNETの写真

温度は39℃くらい 色と匂いに感動
さっきの叔父さんと湯に浸かりながらいろいろ教わる
その近辺には多くの温泉があるが朝6時からしている所は無い
叔父さんは京町から来ているという 1回250円はよかとよ
そして浴槽の壁の一部が1m四方の扉になっている
扉を開けると庭に出れて露天風呂があると教えてくれた
教えてもらわなければ絶対判らない「忍者の隠し戸」状態

すると より色も臭いもきついモール泉があった
兎に角熱くて入れない(63℃) 横の水風呂の水を桶で何十杯も汲んで温めるが追っつかない
一回は首まで浸かろうと意を決したが これはたまらん 30秒は無理
流石に地元の人も入らないはずだ
露天風呂というよりも内湯の為の温度調整用の設備だと思った

列車は朝の通勤通学用で1時間後に来る
そのあとは昼過ぎまで無い

吉都線は次の吉松まで
今日の泊りは肥薩線栗野の山奥 栗野岳温泉である
栗野岳温泉に入るまで大夫時間があるので長考したが結局「霧島温泉イオウ谷」に行くことにした
栗野から本来「曾木の滝」に行きたかったが兎に角バスの運行が少なく曾木でもう1泊状態になる
この辺りは自動車を持っていないと陸の孤島に暮らすようなものだ

吉松で肥薩線隼人行に乗り換え霧島温泉駅で下りる
ここで1時間程のバス待合
駅には人もロッカーも無い
バスの運転手が「この駅の名前がおかしいのです 元は西霧島温泉駅でした
お客さんが勘違いして下りられますがバスも1~2時間に1本 タクシーも無い
今は反対側の日豊本線霧島神宮からの来客がメインになっています」という
など話していると11時過ぎにイオウ谷温泉に着いた

車窓から さすが南国まだまだ紅葉が残っている


バス停の前に「霧島ホテル」の電話小屋がある 電話をするとフロントからすぐに迎えの車がある
フロント迄の距離は短いがかなり小高い山の中腹にある 日帰りの1名でも来てくれた
霧島温泉群は以前に(温泉紀行その5)レンタカーで廻ったがイオウ谷には来ていなかった
入湯料は1000円
 
まあ広い!真っ白のイオウ風呂が波打っている
客は10名ほど散らばっていた
以下はNETより

本当にこれだけのイオウ泉が湧き出ているんだろうか
どのかの温泉の様に610ハップ(イオウ入浴剤)を入れているんではないか
と思えるほど湯量がすごい(1日1400万リットルて想像できない)
白濁泉として酸ヶ湯・蔵王・別府などを陵駕するのではないか
たとえ似非でも満足の一献である
8つある湯船には一通り入った 地獄で極楽・極楽とはこれ如何に
1時間ほど過ごして帰りは地獄谷の噴煙と布引の滝・丸尾滝を見ながら丸尾温泉街まで下りる

ホテルから地獄谷まで歩いて5~6分


近くに同年輩の叔父さんがず~と噴煙を見ている
声を掛けると「地元の者ですがこの噴煙を見るのが好きでしょっちゅう来ています
風向きで景色が大きく変わるんです 時々2m位の湯柱が見えますよ」
という 一緒になって暫く湯柱を待つが見えなかった
「ここは火口の真ん中ですよ」
そうか周りは火口のすり鉢の様になっている さっきのホテルは火口の中腹にあるんだ
自然て過酷だが美しいもんだとあらためて思った
川と国道が一緒になって下っている

丸尾温泉まで下りて来た
バス停で時間を見ていると鹿児島空港行が来た
JR嘉例川(かれいがわ)駅を通りますかと聞くと150m程離れたところのバス停に止まる
というので列車までまだ2時間もあるのに思わず乗ってしまった
嘉例川駅にも行きたいと思っていたのでつい乗ってしまった(丸尾温泉も丸尾滝も忘却の彼方)






観光客が車で次から次に来る
ここは人気スポットなんだ
両親と娘の3人組の娘が「15時の列車を待たれているんですか 今夜は霧島温泉
に宿を取っているので一緒に車に乗られたらどうですか」と言う
「有難うございます じじいは栗野岳温泉まで行きますので」と丁重に断る
3人は車に戻って地図を見て栗野はここからまだ遠いわなどと話している

列車は1時間に1本だが何故か14時台が無い
この駅で2時間近く待つ
何ヶ月もあらゆる時間やルートを調べたが栗野駅にいくには結局霧島温泉駅で待つか
嘉例川駅で待つしかなのだ
退屈せず駅で列車を待つ方法がある
120分待ちの場合どこでもいいから45分歩く
そして45分で駅に戻る残り30分で身支度をする
今回も嘉例川沿いの村中を散策した


栗野駅には15時30分に着いた
駅には15時27分に温泉に行ける最終の町営コミュニテーバスが来ていたはずだ
ここが問題である
タクシー会社と行政が結託しているとしか思えない
駅員に苦情を言うと「役所が変更してくれないのです」と笑う
タクシー会社に電話すると今霧島ですので1時間位かかりますと言う
宿にその旨を連絡するもお待ちしていますの返事(迎えも期待できない)
駅員の話ではタクシー会社も運転手が不要になって今1名か2名だという
この観光地は客へのサービスを忘れて自分たちの都合で動いているんだ
2時間で1本でもいいからみんなで連絡し合ってサービスに努めるべきだ
ここにこの国の衰退の元凶を見たような気がした
仕方なくもう一度タクシー会社に電話する
すると5分ほどでタクシーが来た
一体どうなっているの意味が分からん

兎に角宿に着いた
車で15分ほどだがあの山道はとても歩いては来れない

あの西郷さんが愛した栗野岳温泉「南洲館」である
ここに3週間逗留し宿の名前も自ら命名したと言う

宿の裏山が地獄谷になっている(噴煙が見える)

風呂に行く前に裏山に行く





(上の写真はDVDより)
山にあがる途中の道端からも湯気が音と共にシュウシュウ吹き上げる
この湯が直接温泉宿の風呂湯となるのだ
後生掛温泉も宿の隣の泥湯からの強烈な風呂だったが



(上3枚の写真はプロが宣伝用に撮ったもの)

宿に戻り早速所望する
風呂は内湯1つと外湯は硫黄泉と明礬泉がある
取り敢えず部屋の隣にある内風呂(明礬泉)に入る


湯船に浸かっていると姪からLINEがあった
湯に浸かりながら写真と返事を送った
いい湯加減だ


次に外湯の硫黄泉に行く
これは熱い
 
少々熱いがまったりとしたいい湯だ
18時からの食事も宴会場で1人だった

イオウと明礬のはしご湯で汗が噴き出る
これはビールしかないでしょう
一休みして外湯の明礬泉に行く

暗くて少し不気味
しかし温度はいい塩梅 底は泥でぬるぬる
腕に塗ってスマホで撮ろうとするが泥手でシャッターが上手く押せない
そうか足に塗れば良かったんだ
食事もお風呂も大満足だった

4日目

例の町営コムュ二ティーバスは10時13分に来る
朝食は8時にしてもらって裏山を散歩したり少し余裕
昨日の怒りもすっかり忘れていた

バスはきっちり来た
本来東廻りと西廻りがあるらしいが現在は東周りしかない
宿から駅迄の時間が来るときよりも長くなる
その分「栗野岳」(標高600m)の中腹の自然をたっぷりと味わえた
200円で得した気分 昨日のタクシー料金と合わせてチャラ

栗野岳の麓の栗野駅前は銘水100選の一つ「丸池湧水」(日量6万屯)
町名が湧水町なので名も体もそうなんだ(旧栗野町 現湧水町)




長く居たかったが寒風が身に沁みる
ここから徒歩15分に熊本に通じる国道がある
そこのバス停から12時55分のバスで新水俣駅まで行く
本来は肥薩線で人吉温泉に浸かって八代までの予定だった
しかし先の大雨で温泉も線路も道路も流され全てキャンセルとなった
回復を待つが我寿命との競争状態 意を決して3度目のチャレンジである
大きく鹿児島海岸沿い廻りか山間部の峠を越えて水俣に抜けるかのどちらかだが
内陸を選んだ
バス停は寒風に晒されていた(全国的に寒風が強いとある)
例の待ち時間歩行も歩くと汗が出て余計寒い
セブンイレブンの100円コーヒーで2時間近く粘る

2時間近く滞在させてくれたコンビニと栗野岳 ありがとう

本当にバスは来るのだろうか寒さと不安でバス停に立つ
遠くにバスの顔が見えた
やったこれでこの旅も9割がた勝利である

栗野から新水俣でオレンジ鉄道に乗り換え八代の手前「日奈久(ひなぐ)温泉」まで行く
新水俣まで1時間半 伊佐市を抜け県境の峠を超えると水俣市である

天気は良いし景色は良いしバスは温ったかいし(^^♪)

新水俣駅

おお熊本に違いない

新水俣は新幹線と在来線(オレンジ鉄道)の接点

在来線の駅は線路と同じくらいの幅だった
「庇を貸して母屋を・・・」状態
日奈久温泉駅まで45分  ミカン畑と海岸沿いを走る
鉄道マニア垂涎の鉄道なんだ
至る所に三脚はだめ等一般客の迷惑行為禁止の張り紙

列車はワンマンカーで一両仕立て

対岸は天草諸島

ワンマンカーなので最後部の車掌室の横が写真の特等席


駅に下りるとオレンジのジャンパーを着た人(オレンジ叔母さんと勝手に言う)が切符と運賃の徴収に来た
観光案内所員兼駅長
すごく位相がいい 1050円払うとお年はと聞くので〇〇歳ですという
それでは今日1日の割引が有りますといって手続きをしてしてくれて300円返してくれた
65歳以上は「1dayのれる切符」八代駅~川内駅間とある
すると誰か後ろに立っている おお種田山頭火ではないか
オレンジ叔母さんに「山頭火の句碑は至る所で見ますが人形ははじめてです こんな姿でこんな顔で
廻っていたんですね これは感動です」
毎年この近辺では山頭火を忍んで句会があるとか

駅舎を出るとオレンジ叔母さんがこれが「・・・・・」ですという
良く聞こえなかったが大きなザボンが沢山ぶら下がっている

「私達は育て方がへたなので余り大きく成らないですが上手な人は
バスケットボール位に大きくします」と言う
じじいはザボンだと思ったので皮の砂糖漬けは食べたことが有りますなどと話したが
どうも話がかみ合わない
宿に着いてスマホで検索すると八代特産「晩白柚(ばんぺいゆ)」と言ったのだ
大きいものは5kgにもなるらしい 日本人がベトナムから持ち帰り各地で育てようとしたが
上手く育たず結局八代の土地と気候が一番適していることが判ったと言う
皮の裏の白い綿が砂糖漬けにしたりするそうだ お風呂に浮かべたりもする 勿論実は食べる
結構値段は高い スーパーで1ヶ1000円前後で売られていた 高いものだと6000円くらいする
温泉街まで歩いて16~7分




今夜の泊り宿は有形文化財ともなっている「金波楼」


今時 宿泊者名を看板にする宿も珍しい
朝食は広間で一緒だったので判ったがグループ客もあり今夜は総数11名だった



フロントで「今回は無理を言います」とお礼を言った
やはり格式のある宿の一人泊まりは歓迎されない雰囲気
2ヶ月前宿に直接お願いしていたが従業員も愛想が今一
すべてが昔のまんま

荷物を置いて宿の散策後入浴とする

風呂は1階 じじいの部屋は3階



じじいの部屋は前の建物の左側
部屋の窓からこの風呂が見える(さすがに女風呂は見えない)



いい湯だった

夕食は一人部屋で摂る

流石に料理も一流
海産物が新鮮でどれも美味い
残念ながら爺の腹の容量が不足していてとても食べきれない
唯一愛想のいい部屋付きのお姉さんが「大丈夫 食べれますよ」と何度も励ましてくれるが
デザートが無理だというと部屋の冷蔵庫に入れておきますとのこと

木造の宿は廊下の足音がうるさいが全く杞憂だった
階下の階段音もなかったので何度もお風呂に行ったのは言うまでもない
冷蔵庫の杏仁豆腐もちゃんと食べた

5日目

朝食は広間で食べる

ここもカードが使えず現金だった これで3軒目
駅には昨日と違う「オレンジ叔母さん」が2人いた
切符が買えると言うので玉名駅まで通しで買った

切符は叔母さんの手書きだった
オレンジ鉄道で八代まで行き鹿児島本線鳥栖行に乗り換える
9時27分の電車の前に特別列車「おれんじ食堂」が温泉駅に止まった

これは予約の要る列車
食事をしながら車窓を楽しむ
客は若い女性1人だった
下りてくる乗務員は全員サンタ帽をかぶっていた


発車は手振りのベル

みんなでお見送り
列車が来る前に「オレンジ叔母さん」にシャッターをお願いした

山頭火とツーショット

続いて来た列車ははではで

車内もびっくり

前の席に熊が

八代駅で「おれんじ鉄道くまもん号」ともお別れ
本来は熊本で降りて熊本城に行く予定だったが急遽違う遺跡に行くことになり
帰りの飛行機の予約の関係で行けなかった
あと2泊すれば天草諸島や熊本城が行けただろうがもう体力的にも無理
次があればそうしょう
熊本駅から3~40人の若いアジア系外国人と思われる集団が乗って来た
車内は忽ち外国語であふれた
頭にスカーフを撒いている女性に囲まれた
ベトナム語も聞こえる
久しぶりの外国人ラッシュ でも2駅目には全員降りた
残された10名程の乗客も訳がわからずきょろきょろ 何かのイベントだろう
玉名駅から11j時半の山鹿バスセンター行きのバスに乗る
50分で県立装飾古墳舘入り口に着く
ここから丘の上の館まで徒歩25分(なんでこんな不便な所にと思って熊本県のホームページを開くと知事のコメントで
「すごく不便だと多くの方からお叱りを受けています現在検討中でございます。今暫くご猶予ください」とある
歩くのは良しとして 交通機関が無いのである
ここは最初余りに不便なので諦めて熊本城にしていたがやっぱり来たくて変更した
バスで降りたはいいが次のバスが6時間後である
そこで博物館見学後の他の古墳はタクシーで廻ることにした

(ここは金栗四三の故郷なんだ)
地図を見るとこの先の和水町に「竈門」という地名がある
なかなか奥深い地域である

ゆるやかな坂を上がり続けて汗が噴き出る
歩きながら服を一枚づつ脱ぐ
博物館は多くの古墳の真ん中に建てられている
設計は安藤忠雄 かれもこんな不便な所とは今も知らないだろうな

以前から装飾古墳に来たかったがコロナ禍で当面古墳の中に入るのが中止となっている
この博物館はそれら装飾古墳の内部を忠実に再現しているのだ
現地の物はたとえ入れてもガラスなどで仕切られてまじかには見れない
装飾古墳を体験してみたかった


20分程の映画が始まったこの地の先は福岡県の八女である
八女を中心に勢力を持った筑紫磐井の乱を描いていた
エキストラはこの近辺の学生や住民が多く参加したとスクリーンに流れた
20数年前レンタカーで磐井の墓(岩戸山古墳)や白村江の戦いの宮だった朝倉市の広庭橘宮
にも行ったことがあるがそうか八女からこの菊地・山鹿は近いんだ
菊池川のこの一帯は生産力がそれだけ大きいのだろう



装飾の始まりはなんだろうか
映画での説明ではこの近辺は阿蘇加工しやすい凝灰岩が多くあるので
埴輪も石で作った(石人)
しかしヤマト朝廷軍に敗北した磐井の墓などの石人は首を切られるなど徹底的に破戒され
禁止になったという その後当地では外に見えない様に装飾したのではと解説していた
じじいはもう一つ思うに古墳装飾や甎積(瓦の様な薄い石を積む)は高句麗に多く
人的流入なども考えられるのでは
廻っていると館の受付の女性が沢山の資料のコピーを持ってきてくれたそして「今日から土日に限り
一日2回・人数制限・予約制で古墳に入れるようになりました」と知らせに来てくれた
目的の「オプサン・チプサン」は山鹿市営博物館の管轄なのでここではどうしょうもないし
ここもまだ見学途中なのでと諦めた

実物大のレプリカの再現は素晴らしい


受付の女性がタクシーに電話をしてくれた

館の前の公園でタクシーを待つと「山鹿タクシー」が5分ほどで来た
「オプサン・チプサン古墳経由で八千代座近くで降ろしてください」と言う
すると同年輩の運転手が首を傾げる
無線で場所を確認している
え~え 知らないの!!
それって「飛鳥タクシー」が石舞台をしらないのと同じじゃん
カーナビもなく手持ちのタブレットで確認している
そろそろと動き出す「判ったんですか」と問うも返事なし
大体南九州に来て感じることは女性は明るく闊達で愛想も良いのに
男性は無愛想で口数少なく暗いというイメージ サービス業に多く接しているのにこんなイメージだから
他業種はもっときついかも知れない
裏返してみれば己に対して愚直過ぎるほど真面目からかもしれないし
九州男児としての矜持を保持したいというだけかもしれない

ともかく乗りかかった船だ
山鹿市立博物館の近辺にあることは判っているが細い道を
あっちでもないこっちでもないと2人で道を捜す
なんとかオプサン古墳前に来た
「写真だけ撮りますので」と降りてパチリ

よかった
次は近くの「チプサン古墳」
丁度予約者の説明会が始まって内部に入る所だった「残念」
説明を聞いているとやはりガラス越しに見るようだ



もうここに立っただけでも満足である
さっきの館での内部レプリカを重ねてタクシーに戻った

八千代座近辺は車も進めないほど混んでいた
運転手も修学旅行だろうかと言う
すすめないので近くで降ろしてもらった


本当に学生が多い
入れますかと聞くと はいどうぞと靴用のビニール袋をくれた
中は人でいっぱい

なんかやってるんだ


伝統と造りは違うがわが町の市民会館と同じ使い方をしているんだ
音響も照明も完璧だった
ここで合唱したらどんな響きになるんだろう
この辺一角は京都の街並みに似ている

山鹿灯篭民芸館に入った
山鹿というとこの灯篭が思い浮かぶ
20数年前近所の老夫婦の奥さんが山鹿の出身
ある日 奥さんが山鹿に戻りますと挨拶に来られた
へ~では旦那さんもですかと聞くといやいや主人は嫌だと言うので私一人で帰りますという
普段から奥さんは山鹿の事を夢の国の様に讃えておられた
その時に灯篭の写真とそれを頭に載せた盆踊りの写真を見せてもらっていた
別居するほど良いとは山鹿てどんなんかなと思っていた
あの奥さんもご存命なら100歳は超えているだろう
  

民芸館パンフレットより

8月15・16の盆踊りが強烈な印象にある
今はコロナ禍で難しいらしい
紙製品をかざすだけに雨の日の難儀さは想像できる

館内の案内をしていただいた先生にいろいろ教わった
一説には景行天皇の行幸時とも言われているが
朝鮮から拉致してきた陶人と同じように加藤清正が楮(こうぞ)職人を拉致して以来
紙の入手が容易になったので発展したとも

製作現場

頭に載せるも本当に綿の様に軽い
楽しいひと時だった

民芸館を出ると突き当りに山鹿温泉「さくら湯」がある
実は山鹿温泉のことは知らなかった
遺跡と灯篭の心算で山鹿に来たが温泉街でもあるのだ
兎に角どこでも良いからと便利の良さそうな「1泊朝食付き4980円のスーパーホテル」を予約していた
温泉はホテルからさくら湯に行くと決めていた



熊本藩の温泉場だったという建物 いわゆる上御殿だ

場所がわかったのでホテルに向かう
途中コンビニで夕飯を買う
ホテルで弁当を食う
昨夜と随分違う 昨日富める人今日負する人

一休みしてさくら湯に向かう 歩いて5分ほどだ
入湯料は350円
多くの人がいる


(さくら湯ホームページより)
民芸館の先生が湯船の真ん中の馬蹄形中から源泉が湧いているのでそこで体を温めて
周りでゆっくり入るのがコツだと教えられた
湯は少し温めだがなんと肌がぬるぬる
自分の腕をこすると鰻のようだ
この感触は龍神温泉や奈良田温泉に匹敵する
こんな素晴らしい温泉だったんだと目に鱗
民芸館の先生が温泉満足度では➀万座温泉②山鹿温泉③草津温泉④白骨温泉⑤黒川温泉
らしいですと教えてもらった
残念ながら➀と②は行っていなかった 今回②に来れたので➀は近々に行きたい
ここは24時まで開いている
奥さんが愛してやまない山鹿は本当に素晴らしい
今度はもっと時間を取って温泉宿に湯泊したいものだ
ホテルに戻り明日9時のバスの用意をして早く寝る

6日目

ホテルの朝食
ビジネスマンが多いが老人も結構多い 食堂も満席
このホテルは価格の割には部屋も大きいし食事の内容もGOOD

いよいよ最終日だ今日も忙しい
山鹿バスセンター9時発玉名駅行に乗り途中菊水ロマン館(道の駅)のバス停で降りる
ロマン館の隣が古墳公園で今回の旅の温泉と共にハイライトの「船山古墳」がある
現在日本の古墳から多くの鉄剣が出土しているが銘入りと言うのは3剣しかない
奈良石上神社の七支刀 行田市埼玉古墳群(さきたま)稲荷山古墳
とここ江田船山古墳の3ヵ所である
七支刀は何年かに1度公開がある
稲荷山は当地の博物館に現物がある(つれづれ94段参照)
船山の遺物は一括国宝として東京国立博物館にある

次のバスは12時10分である
2時間ほどで上記の赤線を巡る

古墳の前に立てただけで幸せだと思ったのに
後円部分に階段があって入り口らしきものがある

なんと「帰るときは必ずドアを閉めて下しさい」とある
入れるんだ

石棺の前はガラス張りになっている
湿気で見えない
自力でハンドルを回すと大きなブラシが内面のガラスの水滴を落としてくれる



素晴らしい!!
石棺が残っているんだ このままこの石棺に永久の眠りについてもいいくらいだ
一度に力がぬけたような達成感があった


この古墳は戸が閉まっていた


菊池川白石堰河川公園に出る
おおくのカメラマンが構えている
シラサギやアオサギが餌を取る瞬間を狙っているようだ

ススキが美しい
古代の人々は同じような風景を見てここで生活をしていたのだ

ジャガイモほりの叔母さんと話した
なんでも ジャガイモの横に小豆を撒いたら虫が来てジャガイモも根が入らなかったと嘆く
でも健康に良さそうですねというとそりゃそうだと笑う


汗だくになった だれもいない古墳の日当たりのいいベンチで下着一枚になって
濡れた服と体を乾かす

菊池川の支流江田川 中央の屋根が菊水ロマン館 バス停がある

ロマン館はこの地域の特産物などの販売で多くの車と人が集まる
古い看板も掲げられ
晩城柚も売られていた
ロマン館からバスに乗ると同じバスに昨日の民芸館の先生が乗っておられた
2人して再会の奇遇に驚いた
玉名駅まで楽しい会話が続き あっという間に着いた
メールの交換をしていろんな情報を互いに送りましょうと別れた

駅のコインロッカーに荷物を預け温泉街まで歩く

歩いて20分ほどに温泉街が見えて来た

一番フレンドリーそうな「つかさの湯」の入った
いわゆるスーパー銭湯 10種類くらいの風呂がある 湯量が多い 絶えず10数名がいた
ここはもとは「立願寺温泉」と言ったそうだ 歴史は古く開湯は1300年前とか
しかし三井炭鉱の閉山後宿は半分になっているとか

やはり温泉を選ぶなら「源泉」「元湯」「地元共同湯」が経験上一番の湯だ

玉名市営大衆浴場「玉の湯」 おじさん達5~6名が入れ替わり立ち代わり
入浴料は200円

透明な特徴のない温泉だが噴出量が多いのか湯が溢れている 温度もGOOD
浴場の前から玉名駅行のバスで駅に戻り荷物をとりだして新玉名駅行きのバスに乗る
バスが新玉名に着くと1時間に一本の新幹線が10分後に来る
切符を買ってホームに駆け上がった

九州新幹線の座席はなんでこんなに豪華なんだろう

博多駅に降りてスマホで豚骨ラーメン「一蘭」を探すもなかなか大変 地下2階の端っこにあった
並んでいるのかなと思ったらガラガラ
自販機で980円のラーメン券を買う

一席づつ仕切られている鳥小屋の様

店員との仕切りはスダレでまた仕切られている
リクエスト用紙にニンニクの量とか麺の堅さとか辛子の量に丸をして呼び鈴を押すとスダレが上がり店員が来る

「天一」のこってりとは違ったコッテリ感がある
こっちのほうが好きかも 兎に角美味かった 完食!

空港はひっそりしていたが大阪行はほぼ満席だった

博多空港の空は澄んでいた
温泉も良かった遺跡も良かったラーメンも美味かった
九州のみなさん有難う





追伸 2022年1月に栗野岳南州館のホームページを見たところ
2021年12月に閉館とあります
寂しい限りです お疲れさまでした